昭和6年5月、蒲鉾製造販売業を開始し、第二次大戦中一時中断したものの戦後直ちに、尼崎市難波南通6丁目150番地で和田八蒲鉾店を再開し、尼崎市蒲鉾工業組合に加盟、理事等を歴任し、兵庫県蒲鉾業界に貢献、「かまぼこの和田八」の基礎を確立した。

- 昭和23年2月
大阪市北区曽根崎中2-7に梅田営業所開設 - 昭和27年5月10日
株式会社和田八として株式会社に改組 - 昭和28年3月
大阪高麗橋三越百貨店に出店 - 昭和28年4月
大阪有名大店会に加盟 - 昭和34年
全国蒲鉾品評会に於て油揚げかまぼこが農林水産大臣賞受賞 - 昭和35年
全国蒲鉾品評会に於て焼抜きかまぼこが農林水産大臣賞受賞 - 昭和36年8月
大阪市北区空心町2丁目91番地に店舗並びに製造工場を建設する - 昭和38年11月
大阪梅田地下街(ウメダ地下センター)に出店 - 昭和39年8月
阪神電鉄尼崎駅(尼センデパート)に出店 - 昭和40年4月
株式会社和田八蒲鉾店代表取締役社長に和田まこが就任する - 昭和44年11月
阪急電鉄梅田駅(阪急三番街川のあるまち)に出店 - 昭和45年11月
大阪難波地下街(虹のまち)に出店 - 昭和47年4月
大阪市市街地改造計画により大阪営業所梅田店を閉鎖し、大阪市北区曽根崎新地2丁目6番地に移転し北新地店として営業する - 昭和48年6月
株式会社和田八蒲鉾店代表取締役社長に和田功が就任する - 昭和48年7月
商号を現在の「株式会社和田八」に変更する - 昭和49年2月
大阪市淀川区三津屋北3丁目3番71号に淀川工場を建設 - 昭和50年10月
大阪難波高島屋百貨店に出店 - 昭和51年11月
和田功が和田八蒲鉾製造株式会社設立登記 - 平成9年2月8日
代表取締役和田功逝去により、創業者和田八次郎の次女末澤多美子が株式会社和田八・和田八蒲鉾製造株式会社を継承する - 平成9年4月1日
株式会社和田八と和田八蒲鉾製造株式会社の共同体で、大阪市西淀川区中島2丁目10番28号に新工場を建設する
同年8月26日完成する - 平成11年8月
尼崎市武庫町に出店 - 平成13年10月
和田八蒲鉾製造株式会社 代表取締役社長に創業者故和田八次郎の孫末澤市子が就任する - 平成28年12月
和田八蒲鉾製造株式会社工場長加野義久が、大阪市より中小企業技能功労者として表彰される - 平成31年4月
平成30年度の(地独)大阪府立環境農林水産総合研究所による大阪産(もん)チャレンジ支援事業に採択された大阪産(もん)はもと玉ねぎを使った「はも玉天」が、大阪産(もん)認証される - 令和元年11月
大阪府知事より、蒲鉾「切り出し」が大阪産(もん)名品に認証され る。 - 令和3年5月
独立行政法人中小企業基盤整備機構より感謝状の授与と中小企業応援士を拝命

創業者:和田八次郎
宮内庁御用達として、浩宮様(現天皇陛下)の初節句に東宮御所へお祝いの蒲鉾をお納めする時の写真。
宮内庁御用達として、浩宮様(現天皇陛下)の初節句に東宮御所へお祝いの蒲鉾をお納めする時の写真。

和田功 (創業者長男)
先見的視野で世界に良質の魚を求め、 すり身と蒲鉾の技術指導を積極的に行った。 写真は1990年頃タイで撮影された一枚。
先見的視野で世界に良質の魚を求め、 すり身と蒲鉾の技術指導を積極的に行った。 写真は1990年頃タイで撮影された一枚。